2007年07月07日(土)
さいきん思うこと [よもやま]
私はこのブログで政治・宗教などのトピックは原則として取り上げないようにしている。逆に,趣味やどうでもよいよもやま話ばかりを書いているが,自己満足といわれてもそれで構わないと思っている。なぜなら,政治・宗教の話題をすると,些細な意見の違いから時としてフレームの元になることもあり,また字面のみによる“信念”の一方的な発露はそもそも誤解を招くことが多いからである。無論,議論によって相互理解を深めることを軽んじているわけではなく,ブログにもコメントの投稿やトラックバックといった(完全ではないが)双方向性があるため,ネット空間を意見表明の場として利用することは否定しない。また,“炎上”を恐れてあえてそのようなタブーに触れないというのは,人によっては「臭いものに蓋」的な及び腰のスタンスにも捉えられるかもしれない。だが,私は「そのような話題」についてあえて触れるのであれば,実名で意見を述べなくては意味がないと考えている。欧米ではよくブログが既存のマスメディアと対峙するほどのオルタナティブメディアになりつつあると言われているが,これはセンシティブな問題について言及する場合でも,自分の意見を実名付きで公表するのが原則になっているからではないだろうか。それに引き替え,日本人は2ちゃんねるに言うに及ばず匿名性を備えたメディアを伝統的に好むようである。アノニマスに護られた空間では,リアルワールドでは口にもできないラディカルな思想を一方的に説くことができ,ときには過度の誹謗中傷に走ることもあるだろう。だが,匿名性を傘にしてタブーを“熱く”語ったところで,所詮Anonymous Coward(匿名の臆病者)であることには変わりなく,便所の落書きと大差はないように思われる。すなわち,既存メディアの向こうを張ったつもりでネット上で自分の見解を“記事”にしても,それが匿名である限り誰もその内容に責任を持たず,“書き逃げ”であるがゆえ誰もその内容を重みのあるメッセージとして受け入れられないのである(ただしマスメディアの報道内容が信頼に足るかは別問題)。そのため,この国では当面ネット上に構築された市民メディアが“権威化”されたマスコミ以上の発言力をもつには至らず,便所の落書きはこの先もアチコチで延々と繰り返されるに違いない。もっともこれは,表現の自由が今のところ生きている証左であるとも言えるのだろうが。
追記:とはいえ,私もこの意見を匿名で記しているので,自家撞着といわれればそれまでだけどね(^ ^;)。
Posted by 神海 螢 / コウミ ケイ at 2007年07月07日(土) 23時10分 コメント ( 2 )
コメント
まあでも、新聞記事なんかほとんど匿名だからね。
ブログの炎上はたまったもんじゃないけど、
従来は居酒屋のカウンターどまりだった個人のぼやきが世界中に流せるようになった(少なくともその手段が市井の人々に入手可能になった)というのはやっぱり大きな進化だと思うよ。
例えばマスコミの捏造の指摘なんかはそれこそ2ちゃんねる発ってのが相当多くて、それってやっぱり匿名性がそれを担保してるんだと思うんだよね。
有名な石原都知事の「日韓合併を100%肯定するつもりだ」との発言が捏造されたものであるとしても、名前を出してまで指摘する人は少ないでしょう。
たぶん市井の人々が意見を発信できるメディアが新聞の投書欄(原則実名が求められる)くらいしかなかったなら、おそらくこの件も捏造されたままになってたんじゃないかな?と思うんだよねー。
コメントサンクス。参考になります。
新聞に関しては,たしか毎日はほとんどすべての記事が名前入りじゃなかったかな。僕個人としては,「純粋な事象を伝える」分には無記名でもいいのかなとも思います。もっとも,マスメディアが本当に中立の立場で事実を伝えているとはいえないケド…。メディア論の古典であるマクルーハンの言説をあげるまでもなく,使うメディアによって受けとめられるメッセージ(≒信憑性)も変わってくるからね。(マス)メディアに完全な中立性を求めるのは土台無理な話でしょう。
という意味では,いくら某掲示板が(僕にとっては)便所の落書きにしか思えないとしても,それが“メディア”である以上,たとえ匿名であっても伝えられるメッセージには意味があるのかなぁ。内部告発も然り,確かに匿名じゃないと伝えられない“こと”もあるのは事実だね。