2008年03月15日(土)
あかつきとともに昇りて島原鉄道南目線へと至る惜別乗車の旅 [フォトログ*鉄道]
※この記事は2008年04月13日に作成しましたが,便宜上,撮影日を基準にタイムスタンプを振っています。
今年も別れの季節がやってきました。今度のダイヤ改正で九州方面のブルトレの一翼を担っていた寝台特急なは・あかつき号と東京−大阪を走り続けた寝台急行銀河号が廃止されます。また,九州は島原鉄道の南半分の路線(通称:南目《みなんめ》線)も3月末の廃線が決まっており,この春もまた鉄路が消えてゆきます。そこで,最終日のあかつき号のきっぷが運良く取れたワタシはノコノコと寝台列車で島鉄の惜別乗車の旅へと出た次第です。
3月14日の姫路駅。もうこの案内板に「なは・あかつき」の文字を見ることはない。
寝台はといえば久しぶりの上段。上は荷物置きがあるので便利なのだけど,ハシゴをイチイチ上らないといけないのが面倒だね。
客車もいまや風前の灯火…。
最終日にしてはすこし盛り上がりに欠けていたような…。記念グッズの車内販売もなかったし(記念乗車券は配られたけど)。もっとも車掌のアナウンスはなかなかジーンとくるものがありましたね。親子二代に渡ってあかつき号の車掌を務めてきたらしく,これまで様々なドラマがあったそうで,例えば春には旅立つ子をホームで見送る親をみかけるとなかなか列車のドアを閉められなかった思い出などを話されていました。
あかつき号の本来の終点は長崎なのだけど,最終日は鳥栖止まり。というのも,日付がダイヤ改正後の15日に変わり,長崎本線方面に特急列車が増発されたため,あかつき号が行って戻ってくるだけのスジがないのです。
車両の末端部分。ちょうどあかつき号のレガートシートにあたります。
なは号とあかつき号の切り離し作業が始まりました。なは号の方は熊本まで行くのですねー。
なは号が去った後のあかつき号。
あかつき号を車両基地へ回送するための電気機関車がやってきました。それにしてもギャラリーの多いこと(^ ^;)。新聞記事によれば,早朝の鳥栖駅に300人ほど集まったのだとか…。
あかつき号を見送った後は,長崎本線〜佐世保線〜大村線経由で佐世保に出,快速シーサイドライナーで諫早へと移動。ここで島原鉄道に乗り換えます。
しばらくすると急行加津佐行きがやってきました(写真は方向幕の切り替わる前ね)。もっとも加津佐行きとはいえ,いったん南島原駅で乗り換えないといけないのだけど(おまけに南島原より先は各駅停車だし)。
サッカーで有名な国見高校も沿線にあります(ただし,最寄り駅の名前は多比良町駅)
いよいよ廃止区間に入りました。前も書いたけど,雲仙普賢岳の火砕流災害後の復旧によって一部高架化までされたのに廃止になるとは,ね…。ちなみに,諫早から終点の加津佐までの運賃は片道2,060円ナリ。ちょっと高いです。
途中の原城駅で列車の行き違い停車兼トイレ休憩。
諫早駅から揺られること2時間40分,終点加津佐駅へ到着。いつもは無人駅ながら,廃止まで残り2週間ということもあって窓口も開いていましたね。
キハ20形キハ2003とキハ2003。普段は南線に入線しないそうで。
- キハ2003エンジン音(加津佐駅にて録音)
- キハ2006エンジン音(加津佐駅にて録音)
キハ20形の味のある車内。こちらの車両も3月一杯で運用終了(=廃車)の予定。
穏やかな有明海のいそ風が車内に満ち,列車は残り少ない道程をひた走る。島原外港駅で下車し,去年と同じくフェリーで熊本へ渡りました。南目線とはここでお別れ。
南目線廃止にあたって反対の署名が3万6千人以上集まったらしいけど,議会への請願も不採択となり,万事休すの結末に至ってしまいました。三木鉄道とは異なり,住民の多くも南線の廃線には反対していたのだろうけど,如何せんアクションを起こすのが遅かったような気がするね。そう言えば,車内で高校生と思わしき男女数人がこんなことを話しているのが耳に入りました…「(代替)バスは高いから4月からはバイクで通学する(ために今自動車学校に行っている)」と。早くもバス転換後の状況が目に浮かぶような…。過疎化は進んでいるのかもしれないけど,決して無人地帯というわけではなかったのだけどね>島原半島。
長崎駅から寝台列車が消え,大阪発着のブルトレもなくなり,ローカル鉄道の鉄路がまた減って,旅情がますます薄らいでゆく春の旅路でした。
おまけ:終点で停車中の寝台特急あかつき号の動画(2008年5月11日追加)
おまけ2:在りし日の島原鉄道南目線を"聴く"(2008年5月18日追加)
Posted by 神海 螢 / コウミ ケイ at 2008年03月15日(土) 21時00分 コメント ( 2 )
コメント
自分的には完全復活してほしいです。
高齢者や学生に不便なので復活してほしいです。
コメントありがとうございます。
南目線廃止からちょうど1年が経ちますね。
廃止部分には噴火後に高架化してまで復旧した箇所もあるので,このまま捨て去ってしまうのは本当にもったいないと思います。路線が島原半島を一周していたらまた状況が違っていたのかも知れません…。