2006年09月30日(土)
YS-11最終章その3〜その翼は永遠に [フォトログ*YS-11]
とうとうこの日が来てしまいました。唯一の国産旅客機YS-11が国内の民間航路から引退する日…2006年9月30日。40年以上の長きにわたり,日本の空を飛び続けたYS-11も今日で見納めです。8年前に突然ひこーき趣味に目覚めたワタシも,最終日はぜひ“日本の翼”に乗ってこの思い出を永遠に語り継がねばと思い,鹿児島へ飛び立った次第であります(笑)。
伊丹発7時50分の便で一路鹿児島へ。今日は,展望デッキも無料開放のようです。
早くも人だらけ。天体観測でもするかのような超巨大な望遠レンズを抱えている人もいるし(^ ^;)。
来ましたー。福岡発3643便10時ちょうど着のYSが!
福岡から到着したJA8766に乗って,マイ・ラストフライトとなる鹿児島−福岡線(3648便)を飛んできます〜。
国内YSフライト歴最後の座席は16A(最後部席のひとつ前)でした。これまで1〜3列目あたりに座るのがほとんどだったので,こうやって後ろの方へ座ってみるとまた新鮮な印象を受けます。
後方からの機内の様子。大撮影会になっていましたねー。
懐かしいスチュワデスの表記。
8年前に乗った最初のYSフライトを思い出しつつ,最後の秋空をゆく。
福岡空港へ到着。折り返し鹿児島行き3965便になります。
出口に向かう途中,偶然僚機JA8768が隣のスポットにやってきました。福岡空港でのYS二機同時スポットインもこれが見納め。
福岡空港第一ターミナルの展望デッキで福岡発最終便(3967便)を見送ります。ホントはコレで鹿児島へ戻るつもりだったけど,キャンセル待ちしても席を取れませんでした(; ;)。
網だらけ&人だらけでいい場所が確保できず,鉄格子の中から撮った絵みたいになってしまったけど,許してね〜。3967便テイクオフの様子です。
遅れて13時10分発のMD-81で鹿児島空港へ戻りました。実は,10月から福岡−鹿児島線はプロペラ機のみの運航になってしまうので,(狭義の)ジェット運行は今日までだったのですねー。そういう意味では,福岡ラストのYSには乗れなかったけど,これはこれで貴重かも。
鹿児島空港展望デッキへ戻ってきました。いや〜,足の踏み場もないほどの“観客”が…(ちょっとオーバー^ ^;)。
ラスト便を迎えるウォーターアーチの準備の様子(航空局鹿児島空港事務所と航空保安協会鹿児島事務所の好意らしい)。
来ました,ファイナルを飾るJA8766が! 南西から滑走路上空を横切り…。
17時40分頃ランディング。
ウォーターアーチをくぐり,スポットNo.17でエンジンオフ。沖永良部からのラストフライトを無事務めました。
その後,運行会社のJAC(日本エアコミューター)による記念式典が執り行われてたようですが,ラストフライトの乗客&関係者のみのセレモニーだったため,一般ピープルは遠目に見学するのが精一杯(それでも今日はスポット近くのフェンスまで近づけるように気を利かせてくれたっぽい^ ^;)。長年の労をねぎらって,YSには焼酎がかけられていました。
18時半過ぎにはすべてのイベントが終わってしまいましたが,フェンス越しの群衆はいつまでもその場を離れようとはしませんでしたと,さ(笑)。
最後まで残ったYS-11は,商社を経てフィリピンの航空会社に売却されることが決まったそうです。飛んでこそのひこーきだとは思うものの,近年東南アジアへ売られたYSは,数年でどれも飛べなくなってしまっているので,その後を思うとちょっと複雑な気持ちになりますね…。鹿児島はYSとも縁が深かったので,一機ぐらい空港内で保存されると思ったのだけど,そのまま新天地へと飛び立ってしまうのでしょうか。
あの誇り高きダートエンジンのサウンドも,黒い団子っ鼻の容姿も,鳥のように“羽ばたく”長い翼も,それが見慣れた風景であるが故に,今日をもってなくなるという事実を実感できないでいます。戦後の混乱を経て,ゼロから開発され,世界のソラを飛び続けた唯一の国産旅客機YS-11,“名機”と呼ぶには鈍くさい面もあったものの,人々の汗と苦労があったからこそ,40年の歳月を経た今日まで飛び続けることができたのでしょう。国産旅客機の炎は消えるものの,この思いを継いだ新しい翼がいつの日か生まれることを信じています。
ありがとう,YS-11。その翼の記憶は,永遠であれ!
Posted by 神海 螢 / コウミ ケイ at 2006年09月30日(土) 21時00分 コメント ( 0 )